時代の最先端の情報を発信し続ける街、渋谷。日本全国から若者を中心に集い続け、常に新しい何かが生まれてメディアに取り上げられない日は無い街。今日では世界各国から観光客も訪れるなど、日本を代表する観光の街の一つという顔も持ち合わせます。そんな渋谷に老舗『喜楽』はお店を構えています。JR渋谷駅を出て、有名なスクランブル交差点を渡り、暫く道玄坂を登り、そこから脇道に一本入ると、『喜楽』を見つけることが出来ます。
お昼時はお店の前に行列ができるのが『喜楽』。但し回転が早いので、さほど待たないで食べることができる。敢えて時間をずらしてくる常連様もいるとか。
一階は厨房とカウンター7席。手際よく料理が作られていくのがカウンターからは見ることができる。
広々とした二階はテーブル20席。スピーディーに料理が運ばれてくる。老若男女みな、喜楽の味に舌鼓を打つ。最近では海外観光客も多数!!
○○の部と書かれたカウンター・テーブルに並ぶお品書き。麺類以外にもご飯物や一品料理も。
是非味わいたい、職人の
技が冴え渡る、チャーハン。
常連様は、ビールと餃子を
注文する人も多いとか。
注文する常連様が多い
大人気の『もやし麺』もオススメ。
住所 | :東京都渋谷区道玄坂2-17-6 |
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電話番号 | :JR渋谷駅(ハチ公口)から徒歩6分 |
営業時間 | :03-3461-2032 |
定休日 | :11:30~20:30 水曜日 |
席数 | :27席(1階:カウンター7席 2階:テーブル20席) |
さて、現在は若者の街、時代の最先端の街が、当たり前の姿としてすっかり定着している『渋谷』の街。日本各地から若者が駅前のハチ公前やモヤイ像の前で待ち合わせ、スクランブル交差点を渡り、センター街を行き交い、109でショッピング。そんな渋谷は実はここ数十年のこと。紆余曲折を経て、今日の渋谷へと成長を遂げたのです。ここでは、折角なので、渋谷の街の成り立ちについてお伝えしたいと思います。
諸説あるようです。昔、渋谷の地は入江であり『塩谷の里』と呼ばれており、その『塩谷(しおや)』が『渋谷(しぶや)』になった説、この地域の川が鉄分を多分に含むことから、赤錆た『シブ色』で、そこから『シブヤ川』と呼ばれ、それが地名となった説、その川の流域がしぼんだ谷あいにあったためという説。また平安時代、この地を治めていた領主に天皇が『渋谷』という姓を与えたという説などがあるそうです。
江戸時代初期の渋谷は、農村でしたが、徐々に武家屋敷が増え都市化が進んだようです。明治になると、今となっては信じがたい話ですが、渋谷にはたくさんの牧場があったり、『渋谷茶』というの名のお茶の栽培が盛んになったそうです。以降、渋谷駅ができ、そして工業化の波が押し寄せてきました。1930年には駅のターミナル・デパートも完成し、徐々に今日の渋谷を思わせる姿へと近づいていきます。
戦後は、在日米軍の施設地、ワシントンハイツとなります。アメリカ人の文化がこの時期に根付き、オシャレな地域、最先端の情報発信地へと、私達のよく知る『渋谷』は、この時期に、形成されていくことになります。1963年にワシントンハイツの地は日本に返還されることになりました。翌年、その跡地には国立競技場、選手村といった1964年に開催された東京オリンピックの主要な舞台となっていったのです。
今再び渋谷は盛り上がりを見せています。2020年の東京オリンピックに向けた、100年に一度の再開発事業。駅前等では大規模な工事が行われています。そして、近年では海外からの観光客が多数訪れるのが『忠犬ハチ公像』。飼い主の帰りを渋谷駅の同じ場所で健気に10年近く待ち続けたという話は日本人だけでなく世界の人達にも大きな感動を与えているそうです。
『中華麺店 喜楽』本編
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