らあめんの可能性に魅せられた 『尾張の大うつけ』
時は戦国時代。全国の戦国大名によって、領土拡大を巡る争いが各地で繰り広げられていた。
尾張の国に生まれた信長は、人とは違った視点で物事を捉える人物で、幼少期よりすでにその片鱗を覗かせていた。
信長は、“らあめん”がまだ一般的ではなかった戦国時代に『三度の飯より“らあめん”が好きだ!!』と豪語する少年で、剣術を学ぶよりも“らあめん”の研究に興味を持っていた。
信長はある日、見知らぬ旅人から“つけ麺”という、今まで見たことのない“らあめん”を伝授される。
“らあめん”の無限の可能性に大いに魅せられた信長はそれ以来、積極的にらあめん開発に取り組むようになる。
そして、「戦場で“旨いらあめん”を部下に振る舞えば士気も上がるはずだ!!」と考えるようになった。
しかし、らあめん開発に没頭する信長のことを、家臣たちは『尾張の大うつけ』と呼び、信長の存在を軽んじていた。
彼らは“旨いらあめんの持つ力”に気づいていなかったのだ…。
織田家・斎藤家の同盟
やがて成長した信長は、15歳で美濃の斎藤道三の娘・濃姫を娶る。
この結婚は、親同士が取り決めた政略結婚で、両家の同盟の証として執り行われた。
しかし、その4年後…。信長の父・信秀が何者かによって連れ去られたことにより、事態は一変する。
急遽信長が家督を継ぐことになったが、この機会に尾張領を奪おうと、周辺諸国が狙いを定めてきたのだ。
義父である斎藤道三もまた、同盟関係であるにもかかわらず、この機会を逃すまいと信長に使者を送る。
これにより、織田信長と斎藤道三の会見が行われることになった。
斎藤道三も、最初は信長のことを『尾張の大うつけ』と見下していたが、会見で振る舞われた信長の
“らあめん”を初めて食べ「此奴は只者では無い」と見抜く。こうして信長は斎藤道三という後ろ盾を得た。
決戦!!桶狭間の戦い
その後、信長は弟の信勝が率いる反対勢力をねじ伏せ、織田家は一つになった。
しかし、1560年信長27歳の時。『海道一の弓取り』と名高い、駿河の今川義元が尾張領に侵入する…。
その数はおよそ2万5千の軍勢…。対する織田軍はたったの2千…。
決戦は桶狭間。果たして信長の運命やいかに…!?
『戦国武将らあめん織田信長』本編
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